プロフィール


益子 将太郎(ますこ しょうたろう)


1990年(平成2年)10月12日 28歳
文京区生まれ、文京区育ち
都民ファーストの会 文京区政改革委員


好きな言葉…至誠天に通ず
長所…ポジティブなところ
短所…涙もろいところ

[経歴]
京北幼稚園 卒園
昭和小学校 卒業
本郷中学・高校 卒業
日本大学法学部政治経済学科 卒業
株式会社 ユニクロ
株式会社 ラボアンドタウン
都民ファーストの会 伊藤ゆう事務所
学習塾 「ぶんせい」講師
都民ファーストの会 文京区政改革委員

【幼少期】

~両親によると~

・三人兄弟の長男。3歳のときに妹8歳のときに弟が生まれる。
・小さいころからジブリやディズニー映画が好きで、両親から妹の名前を「何がいい?」と聞かれたときも映画にでてくるキャラクターの名前を答えていたという
・親戚や近所の方など、誰に抱っこされても泣かない、人懐っこい性格であった。
・幼稚園時代、とにかくケンカや競争が嫌いで、遊具なども人に譲ることが多かった。周囲に心配されるほどのお人よしだった。

兄弟との1枚

【小学校】

~地元に育てられた~

・小学校時代は地元のお祭りに参加していた。
・大人はこども達の教師であり、よく怒られ、また褒められた。お祭りのあとに銭湯にいけば、「身体を洗ってから入りなさい」、「手ぬぐいを風呂に入れるんじゃない」と、地元の大人が叱って、教えてくれる人がいた。地域ぐるみで育ててもらった感覚がある。
・「地域の理想の形は」と聞かれると、自分の育った環境を思い浮かべる。

文京区立昭和小学校 卒業式での1枚

【中学校】

~規則って何だ~

・自分が漠然と「政治」に興味を持ち始めた転機に当たるかもしれない。
・地元の中高一貫校に進学したが、中学校は校則で「マフラー禁止」。しかし高校生は受験を考慮してか、マフラーが解禁される暗黙の了解があった。
・「校則だから」理解はしていたが、何か納得がいかない自分がいた。また、生徒の健康を考えると、ますます疑問が湧いた。
・「校則を変えた方がよい」と、思い立った中学3年生の時、唐突に生徒会長選挙に立候補。何も準備もしていなかった自分は、当たり前に落選。
しかし「実態に即していない規則」は周りに良い影響は与えない。校則とマフラーから学んだことは、とても大切なことのように思う。

【高校】

~理想を語る為の地盤を~

・中学校時代の生徒会長選挙。勝ったのは1年生から生徒会活動に励んできた生徒だった。
やりたいことを叶える為には、やるべきことがある」と、着実に一歩一歩進めることの重要性を学び、高校時代は1年生から生徒会へ入会。
・生徒会活動に邁進し、2年生の時に生徒会長に当選。「風通しのよい学校を」をスローガンに、マフラーに関する校則の改訂などに挑戦。
・その過程で、生徒・先生・保護者それぞれに意見があり、現状の校則になっていることを知る。ルールを変えるということの難しさを身にしみて実感した。
・しかし、一人一人の意見を聞きながら、自らの考えを伝えることで、互いに歩み寄ることができることもまた実感としてあった。
・結果として、学校にとっては数年ぶりとなる校則変更のための全校投票によって、「室内では着用禁止」などのルールを明確にしたうえで、中学生からマフラーを着用することが可能になった。生徒や教師、保護者の声を聴き、制度という形にしていく。この経験は今の自分の原点である。

~校則と政治~

・会長として生徒の声に触れる機会が増えると「不満」もよく耳にするようになった。様々な意見があったが、「なぜ、不満は生まれるのか」と考えてみると中学生時代にも経験した「実態に即していない規則」から生まれていることがわかった。
・校則は秩序や安全を守る為に重要であることはわかっていたが、「実態に即していない規則」は関わる人たちに不利益を与えてしまうことも理解した。
・「それは学校だけでなく、社会においても同じではないか」
『規則』を創る『政治』について学びたい
・自分の人生の軸が固まった高校時代であった。

生徒会のメンバーとの1枚

【大学】

~意気揚々×前途多難~

・世の中の「規則」を創る「政治」を学ぼうと大学を受験。自分の学びたいこと、進みたい道がハッキリしてからは勉強に打ち込んだ。政治に関わる勉強をしながら受験をしたいと考え、論文形式のAO入試を選んだ。将来やりたいことの為に頑張る勉強は楽しかった。
・毎日遅くまで受験勉強に励んだが、本気になったのが遅かったのか、第一志望に落ち、第二志望にも落ちてしまう。当時、第三志望であった日本大学法学部に合格。
・しかし、第一志望に合格してからの自分しか想像してこなかったため受験への後悔や、これからの不安に陥ってしまう。

~だからこそ~

・確かに、受験は思い通りの結果にはならなかった。しかし、だからこそ「より充実したものにしなければ」と気持ちを復活させる。
・大学での講義の他にも、多くの経験をしようとNPO法人国際ボランティア学生協会や赤十字学生奉仕団などで社会貢献活動に従事

~何ができるのか~

・2011年3月11日 東日本大震災。その瞬間は、バングラディッシュでごみ問題に関わるボランティア活動をしていた。漠然とした不安。どこか信じられないような気持ちだったのを覚えている。
・母親の実家が福島県いわき市であったことや、東京も混乱していると聞き、帰国後はすぐに親族の安否確認や情報の整理をした。東京はダイヤの乱れや、物資の不足はあったが都市機能は動いているようであった。
・そんななか、まだインフラも整っていなかった3月末に、所属するボランティア団体で宮城県石巻市にて復旧復興活動をさせていただく機会を得た。

~無力感~

・現地での安全確保の問題や、余震も続いている状況であったため、10名ほどの少人数での訪問であった。発災まもないこともあり、炊き出しや津波によって被災した家屋からの家財道具の運び出しが主だった。
・家財道具の運び出しを行っている最中、道行く人に話を伺うと、「これから体育館にいってくる」と。その意味はすぐに理解できた。しかし、何と言えばいいのか、声をかければいいのか、わからなかった。
・「お手伝いさせていただきます!」「ありがとう!」の関係だけでは語り得ない真実がそこにはあった。一軒、また一軒と依頼に応えていくが、「結局、自分は何ができたのか」。その無力感だけが心に残った。

宮城県石巻市 2011年3月28日

~微力だが、無力ではない~

・先輩や仲間と話し合った結論は「自分たちにやれるだけのことをやるしかない」であった。現地で活動するだけでなく、自分が住んでいる生活圏でも出来ることを探した。
・東北に送る衣類や生活備品などの物資を仕分ける作業。また、「もっとボランティアが増えれば、出来ることも増えるはずだ」とボランティア募集と学生ボランティアへの研修に取り組んだ。
・そして、発災から数か月後に現地へまた足を運んだときには「あのとき…」という声が多くなっていた。そのとき、これからの私たちのやるべきことがみえてきた。ひとりひとりがやってきた、「できるだけのこと」は微力であったかもしれなかったが、決して無力ではなかった。

~「まち」が支えるもの、「まち」を支えるもの~

・震災が気づかせてくれた事は多くある。今まで「当たり前」に享受していたことの尊さであったり、大切さである。
・人はその身ひとつでは生きていけない。眠りを守ってくれる「家」が必要であり、何かあったら相互に助け合えるコミュニティが不可欠である。日々生活をしていると、「当たり前」に思ってしまうこの環境だが、震災はその「当たり前」の大切さを教えてくれた。生活をしている「まち」は、自分たちが想像していた以上に、生活を支えてくれていた。
・自然による出来事を完全に止めることは出来ないが、「まち」を守るために「防災・減災」に取り組むことは非常に重要であると学んだ。

所属するNPO法人では4年次に学生代表を務めた

【社会人】

~いろんな人と「はたらく」~

・就職活動の軸は自己の「成長と開発」であった。
・社会人として求められる能力の成長と未だ知らない領域を学び、自分を開発していきたいと考えた。
・常に自分に足りない部分の成長を求められる環境があり、会社としても成長・拡大中であった、株式会社ユニクロに入社。
・店長候補者として勤務を始めるも、アパレル関係の店舗での経験はなく、戸惑う日々。
・アルバイトとして長年働いている学生や主婦、準社員の方々に支えられた。そして「共にはたらく」ということを考えはじめる。
・午前中は主婦の方々、午後~夕方は学生が中心の職場であったたため、シフトの考え方や声のかけ方、モチベーションの理解に工夫が必要だった。様々なバックグラウンドを持つ人たちとの協働の難しさや楽しさを知る。
・人それぞれに得意なこと不得意なことがあり、お互いを補うことも大切であった。そしてそれをマネージメントすることは非常に貴重な経験であったと思う。
・職場だけではなく、家族同士や友達。有事の際は近所の方々ともそんな関係を築くことができれば素晴らしいと思った。真の「共にはたらく」とはそんな関係なのかもしれない。

~「まち」でこどもを育てる~

・学生時代の先輩から、「地域に根差した学童保育を運営するベンチャー企業を立ち上げる」という話を伺い、「自分の力で地域に何ができるか挑戦してみたい。」と考え、転職を決意。
・すべて手探りの中から、学童の運営に奮闘。失敗も多くしたが、保護者の方々や地域の方々、子どもたちに支えられ邁進した。
・信頼関係を結べば結ぶほど、現在抱えている不安を保護者の方々、子どもたちから聞くことができた。「塾に通う子どもたちが多い中、学習面が不安」、「学校での友達作りに支障が出るのではないか」など、自分だけでは気が付くことのできなかった課題を共有してもらうことができた。
・学童を運営するにあたり、保護者・子どもたち・学校に加え、ともに歩んでいくパートナーとして、地域の方々がいる。
・ハロウィンや地域のイベントはもちろん、毎日の決まった通学路の行き帰りでも地域の方々との交流は生まれる。
・毎日見かけるからこそ、何かあったときにはお互いに助け合える、なにより子どもを育む環境となる。そのことに気がついた。

~秘書時代~

・本格的に地域の政治に挑戦しようと思い、先輩の紹介で現・都民ファーストの会所属 都議会議員 伊藤ゆう事務所へ。
・2017年7月の都議選に挑戦する伊藤ゆうさんを応援。活動の一つ一つをそばで見させていただき、劇的な結党の瞬間にも立ち会うことが出来た。
・党の圧倒的な熱量と都民ファーストの会が目指す、東京大改革に向け自らも参画したいと考えた。
・議員の職責を間近で感じたことで、政治とは一つ一つの地道な積み重ねと、細やかなコミュニケーション、膨大なインプットの中からクリエイティブな解決策を生み出し、人と街を動かしていくことと学んだ。
・常に感謝を忘れず、誠実に物事に取り組むことの大切さも肌で感じた。